二人はキャンプ場を取り囲む雑木林を手分けして探索していた。
 先の獣道と似たような地形だが、木と木の間に余裕があるのか、月明かりが手元を照らしていた。
 木成は熊手を使って降り積もった落ち葉を散らしていた。もちろん人肉らしきものが落ちていないか確認しているのだ。
 野根はL字に折れ曲がった針金を、ごっこ遊びの拳銃よろしく胸の前に突き出していた。
 ダウジングと呼ばれる探査方法だ。
 本来なら鉱脈や水脈、果ては金銀財宝を探すのに用いられる万能器具だが、彼女曰く『真摯に願えば人の欠片だって探せるわ』とのことで、彼女はそれを掲げたまま辺りをうろついていた。
「見つかんないわねえ、もおーっ!」
 探索を始めて既に三時間。腕時計は午前一時を指していた。
 普段ならとっくに布団に入っている時間だ。しかしこれといった進展もなく、ついには野根が怒声をあげることとなった。
「仕方ないですよ」
「何が仕方ないのよっ!」
 叫び、野根が腕を振るった。針金の先端が胸へと向けられる。
 月明かりの下、鈍色の光沢がやけにはっきりと見て取れた。
 尖端恐怖症というわけではないのだが、今にも押し込まれそうな針金の圧力を受け、額に玉の汗がぽつぽつと浮かぶ。
「だ……だって、事件があった日から、もう一ヶ月以上経ってるじゃないですか」
 針金を突きつけたまま野根が頷く。
「もしも……もしもですよ? 腕や足がここら辺にあったとしても……夏休み中転がってたわけですし、普通は腐ってますって」
「……ああ。言われればそうね。何で気付かなかったんだろ」
 針金が胸元から離れていく。木成はほっと胸をなで下ろした。
「じゃあさ、木成くん。ちょっとくんくんしてみてよ。嗅ぎとれないかな、腐敗臭とか」
「……遠慮しておきます」
 木成が首を振る。その時――

「誰か……そこにおるのかね?」

 遠くの方から声が聞こえた。
 まるで洞穴の奥から喋っているような聞き取りにくい声だ。
 その声にあわせて、ざくざくと葉を踏む音が近づいてくる。
 木々の間を縫うように、光の輪が見えた。
 懐中電灯だと思われるその光線が、あたりの地面を無作為に照らす。
 思わず野根と顔を見合わせる。
 突然聞こえてきた声に驚いたというより、この山に他の人間がいることに驚いた。そんなこと考えてもいなかったのだ。
 彼女も同じ意見らしく、眉尻が垂れている。面白いほどハの字だ。
『逃げましょう』
 唇が言葉をなぞる。
 次の瞬間、野根は走り出していた。
 慌てて彼女の後を追う――が、慌てる必要はなかった。
 野根が悲鳴をあげた。
 それと同時に、地面に散乱する小枝もバキバキと悲鳴をあげる。
 地面から覗いていた木の根に足を取られ、転倒したようだ。
 倒れこんだ彼女のもとへ木成は駆け寄った。
「いっ……たあ……」
 したたか顔を打ちつけたのか、鼻のあたりを手で押さえ、野根が体を起こした。
 そのまま立ち上がるかと思ったが、地から膝を浮かすことなく、へたり込んでしまった。
 心配になり、声をかけようとすると――
 ずずっ……。
 洟をすする音が聞こえた。最悪の展開を予感させる音。
 木成は慌てて彼女の腕に手を回した。
「部長、いま泣くのはまずいです。我慢してください」 
 抑えた声でそう捲し立て、彼女を強引に立ち上がらせる。
 でたらめに地面を照らしていた光線が二人のすぐそばに向けられた。
 葉を踏みしめる音がこちらに近づいてくる。
 野根の悲鳴が向こうにも聞こえたのか。そうなると最初の一声以来、何も声をかけてこないことがかえって不気味だった。
 人のことは言えないが、こんな時間に山中を彷徨くような人間だ。出会ったとしても、愉快なお話ができるとは思えなかった。
 どこかいい隠れ場所はないか――木成は周囲を見渡した。
 地面に目を向けると、月明かりの下、淡く輝く硝子片が見えた。
 ――部長の眼鏡……か。
 後ろから駆け寄ったため、彼女が眼鏡を落としていることに気づかなかった。
 眼鏡の横には彼女をつまずかせた木の根があった。
 根を地中にのばした木は、大樹と呼んで差し支えない大きさだ。
 木成は木の陰に身を潜めようと、彼女の腕を強くひいた。
 早くどこかで落ち着きたかったのだろう。酔漢のように頼りない足取りではあるが、野根が大樹へ向かって歩み出した。
 彼女が木の陰にしゃがむのを見届け、隣に腰を下ろそうと足を踏み出す。その瞬間、
 バリンッ、と厭な音がした。靴の下からだ。
 あっ……と、か細い声が聞こえた。
「……眼鏡、踏んだでしょ」
 先ほどの涙ぐんだ声とは違い、怒気をはらんだ声だった。
 まるで呪詛の言葉を受けたかのように、木成の体が固まる。
「眼鏡……踏んだでしょ」
 繰り返された。
 月明かりがあるとはいえ、木の陰にある彼女の表情はよく見えなかった。きっと憤怒の形相が浮かんでいることだろう。
 それを隠してくれた山の夜陰に、少しだけ感謝した。
 突然、ふっ、と――彼女の体がぼやけた。夜陰を褒めたせいだろうか。あわや調子にのって闇を増量したのかと、思わず勘繰ってしまった。
 だが、ちがう。
 増えたのは闇ではない。
 増えたのは光だ。
 背中に注がれた光が影を生み、野根を闇に溶かしたのだ。
 生ゴミが腐ったような、異臭を含んだ風が首筋を撫でた。
 何かが背後に立っていた。
「何か割れた音がしたと思ったら……。やっぱり……人がいるじゃないか」
 痰が絡んだしゃがれ声が、木成の背中に向けられた。


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