「お、読み終わりましたか」
野口が顔を上げると、まどかが気付き野口に向き直る。
「つまり、昨日俺たちが見たあの女は有村かんなの幽霊だと、そう言いたいんだな?」
言いながら野口は冊子を掲げる。
「私たちも昨日見るまでは半信半疑だったんだけど」
瑠乃も野口の方を向く。
「まずオカ研に入った私たちは、過去の部誌を読んでめぼしい記事を調査することにした」
「UMA、UFO、黒魔術、なんでもござれでしたよ。その辺は検証しようがないので今回は相手にしませんでしたけど」
まどかは立ち上がると、部室の隅にある段ボールに近づく。中から冊子をいくつか取り出した。篠崎の記事が載っているものよりも古いオカルト研究部活動報告書だ。野口はあることに気付いた。
「有村先輩もオカ研だったんだよな?部長もやってたぐらいだし」
野口の言わんとしてることがわかったのか、まどかはまたも段ボールの中を探り出す。
「じゃあ、有村先輩が書いた記事が過去の部誌にはあるんじゃないか?篠崎先輩の記事だと素行だとか成績がよかったってのはわかるけど、なんでオカ研にいるのか不可解でな」
「ええ、確かに確かに。……と、この3冊ですかね」
まどかは冊子を3つ机に並べる。それぞれ5、6、7年前のオカ研部誌であった。
「ただ、どの年もかんな先輩は自分の記事は書かずに、はじめに、というところしか書いてないみたいでですね。あと、奥付を見ると1年のときからずっと編集のトップに名前がありますから、自身の記事は書かずに裏方に徹してたみたいです」
「でも、有村先輩の文章はすごい引きつけられる」
野口はかんなが3年だったときの部誌を開いた。「はじめに 有村かんな」とあり、発行の経緯に続けて各記事の簡単な紹介が書かれている。瑠乃の言うとおり平易な文章でありながら、どの記事も目を通したくなるような名文だった。
「オカルトには興味あったのかな?容姿端麗、成績優秀とまでくると女子テニス部のエースとか、文化部にしても茶道部とかそんなイメージなんだけど」
「野口さんもずいぶんステレオタイプなものの言い方をしますね。その文章読めばわかりますが、記事に関連する知識はかなり持ってないとそこまで見事な紹介は出来ませんよ。野口さんも今読んでけっこう興味を引かれたでしょう」
なるほど、と野口はもう一度冊子に目を落とす。短い文章でオカルトの知識のない野口にも関心を持たせるには、それだけツボを押さえた書き方が必要だろう。
「もうひとつ、有村先輩がオカ研に入った理由がある」
瑠乃が身を乗り出してきた。
「Sという教師、オカ研の顧問だったんだ」
瑠乃は7年前、かんなが1年生だった頃の部誌を手に取り、奥付を開く。瑠乃が指差す先には、斉藤雄介という教師の名前があった。
「たまたまイニシャルがSってだけじゃないのか?」
野口の言葉を、瑠乃は否定する。
「斉藤先生は確かにオカ研の顧問だった。斉藤先生が証言してる」
「Sがその斉藤先生なら、転勤になったんじゃないのか?どうやって聞いたんだ?」
「全く、瑠乃はいつも誤解されるようなものの言い方をしますね」
ため息をつき、まどかが補足する。
「彩ちゃんが去年結婚したってのは知ってますね?」
「ああ、そうみたいだな」
入学当初、恐れを知らない、というより無礼なクラスの男子が彩に彼氏の有無を尋ねたとき、結婚したばかりだと言うことを告げた。それに対する反応の声が女子と男子で全く別物だったことを野口は覚えている。
「その相手というのが、この斉藤雄介先生みたいですね」
まさか、と声にはならなかったが野口の口が動いた。斉藤雄介と、斉藤彩。1人は篠崎の記事の中に出てくる。ではもう1人は。
「川口彩。それが彩ちゃんの旧姓です。ここに出てくるKという新任教師は、彩ちゃんなんですよ」
窓からさす西日が、まどかの顔に陰影をはっきりと作る。笑顔以外のまどかの表情を、野口はその時初めて見た気がした。
「小春先輩の記事を読んだとき、私たちはすぐKが彩ちゃんのことを指していると気付きました。赴任してきた時期もどんぴしゃでしたし」
机の冊子をひとつ取り、ペラペラとめくるまどか。しかしその視線は字を追ってはいない。
「それで、彩先生に真偽を聞きに行った」
組んだ両手に顎を乗せた瑠乃が言う。野口は残っていたスポンジケーキを口に入れた。飲み物はないのだろうか。やけに口の中がパサつく。
「あっさりと認めてくれたよ。こっちの質問にもいくつか答えてくれた」
まどかの喋りにくそうな気配を察し、瑠乃が当時の詳細を語る。そのときまどかが瑠乃に対して向けた眼差しに、野口は気付かなかった。
「彩先生は有村先輩の自殺まで、2人が恋人関係にあったことを知らなかったと言ってた。本当かどうかわからないけど、見たところ、悪意だとか、人の黒い感情には疎そうではある。人を信じやすいというか。だから嘘はついてない、というよりはつけないんじゃないかな。ある程度は信用していいと思う」
一息いれ、続ける。
「斉藤先生が転勤して、オカ研の顧問がいなくなってしまった。そこで既に手芸部を受けもっていたけど、彩先生が顧問を頼まれた。あの感じだと押し付けられたようにも思える。ただその年は篠崎先輩1人だけだったし、まどかと私が入るまで休部状態だったからそこまで負担は大きくなかったみたい」
野口にある疑問が浮かんだ。手元の冊子を再び開き、確認する。
「有村先輩が部長だったとき、オカ研に何人か1年と2年はいたはずだよな、記事も書いてるし。この人たちはどうしたんだ?」
瑠乃が答える。
「有村先輩の事件があったせいで、ほとんどが辞めたって彩先生が。自殺者の出た部にはいたくなかったって」
「じゃあ篠崎先輩はなんで残ったんだ?」
「それは私たちも聞いた。彩先生が理由を聞いても、文化祭までは残る、って。先生には篠崎先輩が何かに怯えているように見えたとも言ってた」
まどかが席に着き、話し出す。
「彩ちゃんからの情報はそれぐらいですね。その後私たちは今の2、3年生に聞いて回ったんです。深夜この学校に幽霊が出る、という噂を知っていますか?って」
先ほどまでと同様、はっきりとした口調で喋る。瑠乃はほっとした顔をまどかに向けた。
「ところが誰もそんな噂は聞いたことがない、って言うんです。聞き込みの後半には知ってる、って人もいたんですが、元を辿ると私たちが情報源になってるようでしたね。幽霊のことを聞いて回ってる1年の2人組がいる、ってな感じです」
「4年前の篠崎先輩の記事を信じるなら、あれほど出回ってた噂が数年で全く流れなくなるのは少し考えにくい」
瑠乃の言葉に野口は頷く。
「ならばとこう考えました。小春先輩の記事は、前半のかんな先輩の悲恋、そしてそれによる自殺は事実です。実名まで出して与太話は書けませんからね。ただ、後半の幽霊の目撃情報、これは小春先輩のでっちあげなんじゃないかと、そう仮説を立ててみました」
「そして昨日実地調査に赴いた」
「そしてヘタレている野口さんを襲う幽霊を目撃したわけです」
そう言って2人は同質のにやけ顔をする。まるで息のあった姉妹のようなその表情に、野口は顔をしかめた。
「話はだいたいわかった。しかし……」
フォークでケーキがのっていた皿をつつく。
「あれは本当に幽霊だったのか?」
失恋の末、自殺した女生徒が幽霊となり深夜の校舎に現れる。怪談としてはよくある話だ。しかしいざ自分の身に降りかかった時、果たしてその存在を受け入れることが出来るだろうか。
「野口さんも見たでしょう。スタンガンでダメージを与えたら霧散したんですよ。そんな芸当の出来る生身の人間がいると思いますか?」
「いや、それは……」
確かに野口はその目で女生徒の体が霧のように消え去るのを目撃した。ただそれだけで幽霊かどうかと判断を下すのは、難しい問題である。
「それに、篠崎先輩の記事、後半が嘘だとするなら、昨日私たちが見たものは何?」
「ええ、どうせ出ないものだと思って行きましたからね。結果として現れましたし、野口さんも危ないところでしたね。いやあ、不運なのか幸運なのかわかりませんね」
そう言って、野口の肩を叩く。その手を軽く払い、野口が言う。
「もしあれが有村先輩の幽霊だって言うなら、なんで噂は全くなかったんだ?やっぱ数年で廃れたのか?」
「うーん、それもありえますけど、もしかしたら私たちが最初の目撃者である可能性も十分ありえます。推測の域を超えませんけどね」
なるほど、と野口は頷く。
「とにかく、もう少し情報を集めましょう。当たるべき人物はまだいますし、実はコンタクトも取れてます」
「誰なんだそれって?」
野口がそう尋ねたとき、校内放送の音楽がなった。放送委員が下校時刻であることを告げる。
「もうこんな時間ですか、だいぶ話し込んでましたね」
瑠乃が立ち上がり、帰り支度を始める。まどかと野口もそれにならった。
「鍵を返しついでにもう少し話しましょう。忘れ物はありませんか?」
瑠乃がケーキの皿とフォークを軽く洗い、まどかが戸締りを確認する。野口は机に広げた冊子を段ボールにしまったが、しまう順番が違うとまどかに少し怒られた。
「さっき言ってたコンタクトを取ってる相手ですけどね、小春先輩です」
先を歩くまどかが言う。旧校舎から職員室までは結構な距離がある。
「篠崎先輩だって?どうやって連絡とったんだ?」
「SNSサイトでそのまま名前を検索したら出てきました。出身校と年齢も一致してたんで連絡とってみたらビンゴ、って感じです。大学に進学してからはバドミントンサークルに入って大学生活を楽しんでるみたいですね。かんな先輩の件で話を聞きたいと持ちかけたら、了承はしてくれたんですがあまり公にはしないでほしい、とのことでした」
ふたつの校舎を繋ぐ渡り廊下に出たとき、強めの風が吹く。まどかはなびく髪を手で押さえた。
「公にしたくないって、いいのか俺に話しても」
「ああ、そういうことではなくてですね」
まどかは苦笑しながら振り向き、後ろ向きに歩き出す。
「ネット上で小春先輩がオカ研にいたことを話さないでほしい、ってことです。どうやらもうオカルトには触れてないみたいですね、大学の友人にも言ってないんでしょう。大学デビューってやつですか。私からすれば何を恥ずべきことがあるんですかって感じですけども」
「まどか」
「おっと、危ない危ない。サンキューです瑠乃」
校舎へと入る直前、あのまま後ろ向きに歩いていたら段差につまづき転んでいただろう。まどかは前を向きひょい、と段差を上がる。
「昨日帰ったあと、小春先輩にかんな先輩の幽霊を見た、って伝えたらひどく慌てふためいた返事がきましてね。本当にかんな先輩の幽霊が出たというなら伝えておきたいことがある、とは言ってましたけど動揺しててメールの文章もしっちゃかめっちゃかで、夜も遅かったですしひとまず1日置いてから聞くことにしました。今日帰ってから約束してます」
いやー楽しみですね、1日あけたのは間違いだったでしょうか、などと言いながら歩くペースが早くなっている。
「じゃあ今日は夜に学校には来ないんだな?」
野口が尋ねると、瑠乃が答えた。
「君と私で来てもいいけど、お守りする余裕はないよ?」
昨日の今日で、人間関係は第一印象が肝心であることを野口は学んだ。
「んー、それはやめときましょう。万が一のことがあったら困りますし。それに部長のいないところで話が進むのは癪ですからね」
そう言うと白衣からちりん、と鍵を取り出した。気付けばもう職員室のそばまで来ていた。
「失礼します」
まどかに続き、野口と瑠乃も会釈をしながら入室する。あまり来たことがない野口は少し緊張した面持ちをしていた。
「今日もおつかれさまです彩ちゃん。鍵を返しにきました」
提出物のチェックをしていた彩に鍵を差し出す。野口は今日中にやるべき課題を思い出した。
「おつかれさま。あれ?野口君がいる?」
どうして?と首をかしげながら軽く手を振ってくる彩に、やはり会釈で応える野口。篠崎の記事に出てきたKという女性教師。それが今目の前にいる。
「喜んでください彩ちゃん、これでオカ研はまた部になれます!」
どういうことだ?と呟く野口に瑠乃が答える。
「この学校で部を作るには最低3人の部員がいる。まどかと私しかいないから、今はまだ同好会止まりなんだよ」
思い返すとまどかは「オカルト研究会」へようこそ、と言っていた。はたと野口は気付く。
「ちょっと待て。誰が入部するんだ?」
きょとんとした顔でまどかは野口を見つめ返した。
「野口さん以外に誰がいるんですか?大丈夫です、部費の徴収とかはありませんから」
「そういう心配じゃなくでだな」
やれやれ、と肩をすくめる野口に彩が助け舟を出す。
「どういういきさつかはわからないけど、強制しちゃダメだよまどかさん。瑠乃さんは無理強いしないと思うけど……野口くんも自分の意思はちゃんと言わなきゃね?」
「ええ、ありがとうございます」
彩に感謝する野口。むっとする眼鏡の少女が視界の端に映ったが、気にしないことにした。
「あれ?彩ちゃんクマがすごいですよ?寝不足ですか?」
まどかの問いに目元を押さえる彩。
「うん、昨日ちょっと遅くまで残ってて」
「せっかくかわいいんですから美容には気をつけないとダメですよ」
そんなかわいいなんて、いやいやまだまだ若いですよ、そんなやりとりを繰り返す2人。瑠乃がタオルの両端を強く握っている。野口もまどかが少し無理をしてはしゃいでいるように思えた。
「んじゃ、私たちは帰りますね。今日はゆっくり寝てくださいよ。さようならです」
「うん、さよなら。気をつけてね」
微笑み手を振る彩。野口と瑠乃もそれぞれ挨拶し、職員室を後にしようとする。
「あ、野口くん」
「はい?」
呼び止められ、振り返る。
「まどかさんと瑠乃さんとは、仲良くしてあげてね。せっかくの縁なんだし。私はあんまり出来ないから……」
出来ないとはどういう意味でだろうか、野口は思案しようとしたが、やめた。
「ええ、わかりました。さようなら」
そう言い残し、職員室を後にした。
home
prev
next