昨日と同じくらいの時間に向かう。今日の僕は、何の撮影かを知りたがる野次馬ではなく、キャストの一人のはずだった。それも準主役だ。男はまた会いに来てくれるのか、彼女が今後どうなるのかが気になって仕方がない。だけどそれは、昨日のそれとはなにか、大きく違った衝動による感情だった。一度関わった以上、どこかで見届けないとといけないという気さえあった。敢えて言えば、目を逸らしてはいけない義務なのだと。
公園につくと、そこは平常運転だった。まるで、昨日の僕ら三人の存在だけを切り取って、くずかごに捨ててしまったかのように、そこは親と子の作る音で溢れていた。その中に一片の異物が……彼女は昨日と同じ四人がけのベンチに座っているようだ。僕も同じようにポジションにつく。その先に何が起こるのか、じっとこらえて待つ番だからだ。子供達の声ですら異質に感じてしまう抑圧から逃れるために、待っている間だけ音楽を聞くことにした。細かい機械が弄れない僕にも扱うことのできる、常に次に流れる曲がランダムで決まる仕様の、非常に簡素なプレーヤーだった。当然、次に流れる曲はわからないが、誰が歌ったものであるかは僕には当てることができた。アーティストは1グループしかなかったからだ。“Life As Sly As Hers”という無名のバンドだ。ボーカルの女の子の、日本語から英語へとなめらかに、二つがまるで同じ言語であるかのように移り行く、その歌い方に僕は惚れ込んでしまった。それだけでなく、彼女らは曲には英語のタイトルをつけるのだが、唯一『君の中に虹を見た』という日本語のタイトルがあり、僕を射止めたのはそれだった。その曲の中の“わかったように アタシのこと 話すのはやめてよ”という詞。聞く人が聞けば、ただの年頃の娘の戯言にしか聞こえないかもしれない。だが、その一言が、生まれてから長年感じていた『人との違い』から僕を解き放ってくれた、そんな気がしたのだ。虹を実際に見たことはないが、もし本物を見る事ができれば、それはさぞ美しいのだろう。そんな彩を言葉と感情で表現した曲だった。そして気づけば、魅了されていた。
 何曲か聞いてるうちに、昨日会っていた時間を三十分が過ぎ、一時間が過ぎようとしていた。昼休みがもう終わろうとしていたので、帰らなくてはと焦っていたが、もう彼が来ることはないだろう。間違いなく、彼女は捨てられたのだ。彼女は望んでいないとわかっていながらも、何か一言だけでも、声をかけないと気がすまない自分がいた。これは僕のエゴだ、そんなことはわかっていた。自分に言い聞かせながら、彼女にゆっくりと近づく。どうやらあまりに待ちすぎていたからか、彼女は寝息を立てていた。とてもいい匂いがした。甘ったるいのにもかかわらず、鼻につかない、ずっと嗅いでいたくなる不思議な匂いだ。遺伝子的に自分と遠く、優秀な子孫を残せる確率が高い異性に対して、感覚器官が本能的にそれを判断し、いい匂いとして合格判定を出す、といった話を聴いたことがある。もしその話が本当なら、そのいい匂いとは疑いなくこれだろう、そう思わせる匂いだった。このままこの匂いに身を任せたい……思考が堕ちていった……気づけば僕は女王蜂に仕える一匹のミツバチだった。世界が彼女中心に回っていた。流れに身を捧げ、欲望に心を任せる事しか出来なかった。
「ハッ!!!……」
一瞬だった、一瞬の気の迷いが僕をそうさせた。僕は後ろから覆いかぶさるように、彼女に抱きついてしまっていた。
「西男……さん……?」
こうなるのは当然だ。
「……」
「来てくれたの……」
「あぁ……」
声をくぐもらせる。もともと似ていると思っていたので自信はあった。
「えっ……声が……」
「あ、ああ……ちょっと喉の調子が悪くて」
言い終わらないうちに咳き込んでみせる。
「ほんとに……?」
「ほんとだよ、他に誰がいるんだい?」
まったくこんな事態は、普通はあり得ない。
「そっか……そうだよね……戻ってきてくれたんだ……」
僕としても信じられないが、まさか関係のない男が西男を装うなど普通なら誰も考えるわけがなく、その異常さが彼女をかえって信用させてしまったようだった。
「目の調子はどうだい?」
「え?」
「君の目の調子がよくならないかと思ってね」
「あぁ……そういうことね。昨日と変わらないわ」
「そっか、早く良くなるといいね」
「西男さん、隣に座って」
再び現実に引き戻された。ここでの『僕』は西男であり、啓ではないのだ。名前を呼ばれるたびにそのことが身に染みる。椅子に座り、彼女の手を握って“あげ”た。欲望に取り憑かれていた。光にも男にも捨てられた一人の女を、無理矢理拾い上げようとしていたのだ。僕はこの女に惚れていた。が、彼女には『僕』しか“視えて”いなかったんだ。
「ありがとう、西男さん」


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